てらterra

『賢者の智慧の書』著者・大竹稽の連載がスタートしました 最終回

死を自覚するということ(最終回)

 

 

日本で初めにパスカルを紹介した人物に、日本を代表する哲学者・西田幾多郎の直弟子である三木清という人がいます。彼は人間の生には答えがないといいました。だから、「人生の目的は何か」と聞かれたら、「死ぬことだけです」と彼は答えたでしょう。人生に答えはなく、人生は不安定である、でもだからこそ人生は貴重であるというのが三木清の思想なのですが、完全にパスカルの影響を受けています。 もうひとつ三木清が言った言葉に、「最大の自覚」というものがあります。「人間にとって最大の自覚とは何か」といったときに、「人間は死ぬしかないということを悟ることだ」とパスカルの思想を通していっています。避けられない死を自覚することによって、人生が貴重になり、だからこそ人間は生きるしかないのだ、と。 最近では、人間が命の現場に関わる機会が少なくなっています。たとえば、現代の子供は魚がいつも切り身ででてくるので、魚はこんなものだと思っている、なんていう笑い話もあります。また、おじいちゃんとおばあちゃんの臨終を迎える現場に、今の子どもたちが立ち会うことが少なくなってしまっています。命の現場に立ち会う機会がないというのは、哲学の契機を失っているといえます。 実は、最大の自覚は死ぬことだということから、哲学の対義語が出てきます。「死を自覚しないこと」、「人間の痛みに目をつぶっていること」、これが哲学することの反対語になります。 さらに踏み込んだ、哲学の最も的確な反対語は、「自己欺瞞」です。世の中の風習や慣例に対して、当たり前だと思ってしまうことが自己欺瞞です。世の中に当たり前なんてなく、私たちはそのことに気づき日々哲学するべきなのです。 つまり、外で学んだ唯一絶対の真理に頼って生きていれば私は幸せだというのは、哲学ではないのです。自己欺瞞から抜け出そうとしたパスカルだからこそ、彼の言葉から人間の偉大さが正確に伝わってきます。 最後に、パスカル、サルトル、モンテーニュの、哲学は何かという考えをお伝えして終わりにしたいと思います。 哲学とは覚醒だ。(ブレーズ・パスカル) 哲学とは永久革命である。(ジャン=ポール・サルトル) 哲学とは死ぬことを学ぶことだ。(ミシェル・ド・モンテーニュ)