てらterra

『賢者の智慧の書』著者・大竹稽の連載がスタートしました 第四回

「考える葦」の偉大さ(第 4 回)

パスカルは「人間は考える葦だ」という有名な言葉を残しています。誰しも一度は聞いたことがあると思いますが、実はこの言葉は彼の文章の一部でしかなく、大事なところは抜けてしまっているんです。

パスカルはこう述べていました。

「人間はひとくきの葦に過ぎない。自然の中でもっとも弱いものである。しかし、考える葦である」と。この文章の「しかし」が最も重要な部分です。人間は最も弱い生き物、だけれども、考えることができる。この、「だけれども」、というところに、パスカルの考える死と生の尊厳の関係が繋がってくるのです。

つまり、死を認知した上で生きるのと同じように、弱さを認めた上で何をするかということに、人間の偉大さや高貴さがあるとパスカルは考えていたのです。

人間の愛すべきところの多くは、人に見せられない弱点や欠点だと思います。世の中で笑ってしまうような失敗の多くが愛しく思えるのは、パスカルの考える「人間の弱さと偉大さ」です。医者に止められているけどおにぎりが食べたいと思うように、理性ではコントロールできないことが世の中には多くあり、人間には弱さと失敗がつきものです。しかし、その不条理や弱さを排除しようとするのではなく、活かして自分の人生や人の役に立てていくということが人間の偉大さ、高貴さであるとパスカルはいっています。

葦に関連した話で、『樫と葦』というイソップ寓話があるのですが、樫が葦をバカにしてこう言う場面があります。「お前は小鳥が一羽止まっただけで重そうにする。自然はお前みたいなへなちょこな植物を作って馬鹿だなあ。俺を見てみろ。どんな風が吹いても折れないし、小鳥が何百とまってもびくともしない」。しかし、葦はこう切り返します。「俺はしなることができる」と。

実際に嵐がやってきて、樫は根こそぎどーんと倒れてしまいますが、葦はずっとそよいでゆらゆら揺れるだけで、最終的にはしなやかな葦のほうが生き残っていくという結末です。面白いことに、ここまで葦のいいところを言っておいて、イソップは強風には逆らうな、強いものには巻かれろ、という教訓にしています。後にラ・フォンテーヌという寓話作家がこの『樫と葦』をフランス語にしているのですが、同時代に生きたパスカルもきっとこれを読んでいたはずです。そして樫に合理主義や理性主義の人々を重ねたのではないかと思います。絶対倒れない何かを作り上げようと、ストイックに生きたデカルトやカントなどの哲学者です。

では、パスカルは「人間は考える葦である」と述べたとき、人間にどういう風になってほしいと考えていたのでしょうか? もちろんしなやかに生きてくれということでしょうが、そのしなやかさとは一体なんなのでしょう? それは、『賢者の智慧の書』に出てくる他の二人にはない、パスカルの特徴からわかります。